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お疲れ様でした
「牛山商店さん」


かつての
「にごりやフードセンター」

世田谷通り側から
上下とも2001.11撮影


セルフサービスのトレー

『ポンポコ新聞』
第69号より(2018.8)

 喜多見1~7丁目と8・9丁目の間、世田谷通り沿いにある
 マンション下の通路はかつて「にごりやフードセンター」でした。
 当初からあった牛山商店さんが2018年8月末で閉店する
 と聞き、ご主人の牛山武茂さんにお話を伺いました。

  にごりやフードセンター開設
 「にごりやフードセンター」は昭和37(1962)年3月に
 アーケードの商店街として開設。当初は世田谷通り側から
 見ると右側だけに7つの店舗が並んでいました。
 にごりや酒店、田中菓子店、にごりや青果店、佐久間精肉店、
 牛山お茶・のり店、電気屋、アサヒ薬局です。
 当時牛山さんは22歳、祖師ヶ谷大蔵駅前にある高橋茶舗で
 アルバイトをしていた素子さんと翌年に結婚。
 昭和39(1964)年には左側にも店舗ができることになり、
 角金鮮魚店が入り、牛山さんも履物店を加えました。
 店主はみな同年代で子ども達も店を手伝いました。

  演歌のBGM
 朝は「いってらっしゃ~い」、夜は「おかえりなさ~い」、時には
 カラスのクロ(*)が「マイドドウモ」と声をかける、まるでタイム
 トンネルのような雰囲気を盛り上げていたのが演歌のBGMです。
 実はこのBGM、牛山さんが用意したカセットテープやレコードと
 箱型スピーカーを使って流していたそうです(途中から有線放送
 を使用)。機材一式は喜多見西部町会の盆踊りでも使われました。

  結婚式の引出物も
 かつては氷川神社で結婚式をしたり砧区民会館(現・成城ホール)
 で披露宴をする方もおられ、その引出物を牛山商店さんが扱うこと
 もあったそうです。

  気がかり
 お店に入ると
 「本の代金この中において下さい。おつり、お取り下さい」
 と書かれたトレーが目に入ります。雑誌類の会計はセルフ
 サービスになっていて、常連の子ども達は自分でマンガ雑誌
 を取り会計して行きます。牛山さん、この子ども達はこれから
 どこで雑誌を買うのかが一番の気がかりのようでした。

 * 牛山さんは狩猟免許を持っているので、傷ついた野鳥を
   保護することを目的に飼うことが認められています。

 

マイドドウモ!
「カラスのクロ」


牛山武茂さんと初代「クロ」


2代目「クロ」


こなきGさんと牛山さん
(写真はGさん提供)

 
 にごり屋フードセンターの中にある牛山商店さんにカラスがいる
 のをご存知ですか? まだヒナだった時に、近所の植木屋さんが
 洗足にあるお宅で取り除いた巣にいて、可愛そうに思ったご主人が
 譲り受けたんだそうです。そうそう、このあいだ宅配便の方に
 「マイドドウモ!」って声掛けてました。

 『ポンポコ新聞』第8号より(2002.2)



  2代目「クロ」
 
 サンユーキャッスルⅡ(にごり屋)の牛山商店さんにいた
 カラスのクロ(享年9才)は2005年1月に亡くなってしまいましたが、
 2005年8月末頃から2代目クロがやってきました。
 牛山さんに引き取られるまでの間、屋外に置かれたカゴで怖い目
 に遭ったのか、来た当初はおびえていたそうですが、
 今ではご主人から口移しで果物を食べるほどなついています。

 『ポンポコ新聞』第23号より(2005.11)



  りっぱな仙人杖でパワーアップ「こなきGさん」

 2010年12月、世田谷通り沿いの牛山商店さんで不思議な写真を
 見つけました。水木しげるのゲゲゲの鬼太郎に登場する子泣き爺の
 そっくりさん「こなきG」さんと一緒に撮った写真です。
 ご主人がこなきGさんと初めて会ったのは3年前の調布市深大寺。
 短い仙人杖しか持っていませんでした。ご主人が知り合いから頼まれて
 長野県の山奥で拾ってきた杖(つえ)が家に数本あったので、翌日、
 そのうちの2本を「あげるよ」とプレゼントしました。りっぱな仙人杖で
 パワーアップし、ものまね芸人として全国を飛び回るGさんから
 「また深大寺に行くから来て」と電話があり、テディベアショップ
 「のんのん」のお孫さんやカラスのクロも一緒に会いに行ったのが
 上の写真です。すぐに人だかりができ、お孫さんの腕に乗ったクロを見て、
 自分も自分もと頼まれ、クロも色々な人の腕に乗ってサービスしました。
 「人生、色々なことがあるねえ」と嬉しそうなご主人でした。

 『ポンポコ新聞』第43号より(2011.4)

 




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