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東日本放送アナウンサー
「高木 玲さん」
時間内に伝えられるよう
原稿を確認
『ポンポコ新聞』
第54号より(2014.2)
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2013年11月、楽天優勝を伝えるニュースに高木玲(たかきりょう)という
名前が出てびっくり。喜多見小中学校出身です!
―― 子どもの頃の思い出は?
「児童館でバスケをしたり、公園で日が暮れるまで友達と喋ったことです」
―― なぜアナウンサーになろうと?
「中学生の頃、歌手を目指していた彼女と2人でミュージックステーションに
出ると約束したことがきっかけです。歌が下手なので、ならばタモリさんの
代わりに司会で出演!なんて大それたことを思い、この仕事を意識し始め
ました。そして、『伝えること』で人の役に立ちたいという想いもありました」
―― アナウンサーになっていかが?
「楽天優勝など歴史的な瞬間に日々立ち会うことができて非常に貴重な
経験をさせて頂いていると思っています」
―― 今、喜多見はどう見えますか?
「木々の緑、畑、川・・・生きものや作物など沢山の命を感じられる町だ
ということです。遊び場も多く子どもがのびのびと育てる町だと感じます」
東日本放送
http://www.khb-tv.co.jp/
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期待のU30舞台役者
「加藤 諒さん」
デザインの仕事は
「カトウリョウ」
でしています
『ポンポコ新聞』
第57号より(2014.10)
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喜多見小中学校出身の加藤諒さんが津和野諒という名で役者をしている
と聞き、「黄金のコメディフェスティバル」出演後にインタビューしました。
―― 子どもの頃の思い出は?
「友達と遊ぶのも好きでしたが、イラストを描いたり、ラジオっぽく話す自分
の声を録音したり、内側にあるものを表現するような遊びも好きでした」
―― 役者になろうとしたきっかけは?
「高校3年の文化祭でやった劇が楽しくて、大学で演劇サークルに入り、
他大学の劇にも参加し、そこで知り合った人達の劇にも加わり、今もフリー
で色々な劇団に参加しています」
―― 役者をしてみていかがですか?
「舞台では、お客さんが目の前にいて、その場で反応がすぐに返ってきます。
特にコメディは、笑いのタイミングをみながら皆で作っていく感覚が面白い
です。裏方の作業や宣伝美術もします。舞台で挑戦したいことも沢山あります
し、映画やドラマにも興味があります」
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今、小学2年生の
担任です
「茗花 啓さん」
『ポンポコ新聞』
第58号より(2015.2)
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―― 子どもの頃の思い出は?
「探検するのが好きで、友達とじゃんけんしてどっちに行くか決めるみたいな、
目的地を決めず、未開の地に入っていくワクワク感を楽しんでいました。この
道とあの道はつながっていたのかと、新たな発見があるのも魅力的でした」
―― どうして小学校の先生になりたいと思ったんですか?
「中学生の時に、小学生の頃の担任の先生と再会しました。卒業してなお、
子ども一人一人の内面を見てくれる温かく、大きな先生でした。そんな人間
に私もなりたいと思い、教師を目指しました」
―― 先生になっていかがですか?
「今は2年生の担任をしています。子どもの成長過程が見られて毎日が
楽しいです。日々、子どもと接することで私自身学ぶことが多く、大きなやりがい
を感じています。壁に当たったり、失敗することもありますが、教師という職業を
誇りに思い、生活しています。いつか、私も喜多見の子どもたちの教育に携わる
ことができたらと思います」
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今、注目のロックバンド
OKAMOTO'S の
ドラムス
「レイジさん」
写真左から、
ハマ・オカモト/ベース
オカモトレイジ/ドラムス
オカモトショウ/ボーカル
オカモトコウキ/ギター
http://www.okamotos.net/
『ポンポコ新聞』
第59号より(2015.5)
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喜多見小学校在校当時には「あっぱれさんま大先生」にも出演していた
零治さんが今、ロックバンド「OKAMOTO'S(オカモトズ)」のドラムスとして活躍
していると聞き、2015年3月26日、新宿LOFTで行われたライブに行ってきました。
チケットに立見と書かれていたので、恐る恐るでしたが、気の利いたトークとノリ
の良い音楽で、あっという間の楽しいひと時となりました。
零治さんは2003年、喜多見小学校から私立和光中学校へ進みました。同級生
だった仲良しグループが中学2年の頃、話題がゲームや漫画から徐々に音楽へ
と移っていき、映画「69 sixty nine」で使われていたクリームのホワイトルームに
感動して楽器をはじめます。1960-70年代の、ローリング・ストーンズ、ビートルズ、
レッド・ツェッペリン、クリームなどの曲を演奏していたそうで、彼らの楽曲が少し
上の世代にも違和感なくなじみやすいのは、その影響もあるのかもしれません。
それぞれが入れ替わり立ち替わりでいくつものバンドをしながら、中学3年の
文化祭で初めてOKAMOTO'Sを結成しました。
高校進学後もなんとなくOKAMOTO'Sでの音楽を続け、2007年2月に初めて
ライブハウスに出ました。高校2年の時にはコンスタントにライブハウスに出る
ようになり、高校3年の夏には初めてのレコーディングもします。ファースト
アルバムを発表したのが高校卒業後の2009年6月。初めてのワンマンライブ
を開催すると同時に当時のベースが脱退し、メンバーがかぶっていた
ズットズレテルズというバンドを一緒にやっていたハマさんが加入し、
現在のメンバー構成になりました。
メンバー全員「オカモト」がつくのは皆、岡本太郎好きだからだそうです。
ボーカルのショウさんはニューヨーク出身、当初はドラム担当でしたが英語が
喋れるからという理由でボーカルになりました。お父さんはジャズサックス
奏者のスコット・ハミルトンさん。零治さんのお父さんはTHE PRIVATESの
延原達治さん。零治さんとショウさんは、局面で先頭に立ち切り開く2トップの
特攻隊長。楽曲を作るなどバンドの頭脳がコウキさん。そしてメンバーのうち、
一人だけ本名から苗字をもってきているハマさんはお父さんがダウンタウン
の浜田雅功さん、話が上手でスポークスマンの役割を担っています。自由で
やんちゃでありつつ音楽に対しては貪欲で真面目な硬派、そしてアツイ心を
もったカッコいい4人です。
2010年、日本人男子としては最年少の若さでアメリカ・テキサス州で開催
された音楽フェス「SxSW2010」に出演。アメリカ7都市を廻るツアーや
豪州ツアー、アジアツアーなど、海外でのライブも積極的に行っています。
テレビアニメ『NARUTO-ナルト』や『デュラララ!!×2承』のテーマ曲、
TBSドラマ『白戸修の事件簿』の主題歌、ソニーや進研ゼミのCMソング、
NHK Eテレ『大!天才てれびくん』のエンディングテーマ、
そして松尾スズキ監督と松田龍平のタッグ作として話題の映画
『ジヌよさらば~かむろば村へ~』の主題歌もOKAMOTO'Sです。
子どもの頃の面影が残る零治さん、こっそり応援したいと思います。
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自動車整備士
「河野雄大さん」
サーキットで
ポルシェとともに
『ポンポコ新聞』
第61号より(2015.10)
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―― 子どもの頃の思い出は?
「小学校時代は、学童保育等を利用していたので、喜多見児童館や校庭で
鬼ごっこやバスケットボール等運動ばかりしていました。中学校時代は、
多摩川で釣りをしたり、親友の家によくゲームをしに遊びに行ったりして
いました」
―― 今の仕事についたきっかけは?
「中学時代から、友達や親の影響で車の仕組みやレースに興味を持つように
なり本や雑誌で勉強したりサーキットへ見に行ったりしていました。その時に
もっと知りたくなり車の整備を勉強できる高校に行ったのがきっかけです」
―― 仕事はいかがですか?
「専門学校で資格を取得し、現在はポルシェセンター目黒で車の整備の仕事
をしています。会社の業務のひとつとしてレース活動も行っていて、昨年は
レースメカニックという仕事もしました。整備の仕事は体力仕事ですが、毎日
いろいろな種類の整備をして、車の仕組みやそれ以外にも多くの知識が得ら
れる面白い仕事です」
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