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祭りを盛り上げる立役者
「喜多見楽友会」



ポンポコ新聞』
第22号より(2005.7)



  朝倉真樹さん 早川忠治さん 早川隆通さん 早川進さん 橋本久雄さん

  名囃子をくりひろげる
 明治の中頃、近郷で祭り囃子が盛んに行なわれ、喜多見囃子は瀬田との
 交流から、明治28年、6名の有志によって始まりました。明治43年には、
 しらべ(締太鼓)の達人・桶屋の岸豊吉さんや、笛の名手・鳶丈こと
 早川丈太郎さん(忠治さんの祖父)、早川正平さん(隆通さんの父)らが
 名囃子をくりひろげ、昭和の初め頃まで隆盛を極めました。

  回り舞台もあった神楽
 喜多見に神楽が伝わったのは、明治の終わり頃と言われます。祭りの時
 には、大きな回り舞台が境内に建てられ、30余りのお面(氷川神社で保存)を
 全て使うほど盛んに行なわれましたが、後継者がいないまま、橋本文次郎さん
 (久雄さんの父)一人が舞方として残り、数名に一部の舞が伝承されました。

  20余名が復興に立ち上がる
 その後人数が減り、存続が危ぶまれましたが、昭和48年、先祖伝来の
 郷土芸能保存のためと20余名が立ち上がり、会が復興されました。現在の
 大国舞、神前舞、神楽囃子は、昭和60年頃、杉並の大宮前郷土芸能保存会
 から習ったものです。

  地区会館や銭湯で稽古
 稽古は、囃子が月曜日に宇奈根地区会館で、神楽は水・木曜日に丸正浴場
 二階(夏は宇奈根)で夜、行なっています。囃子・舞は、1月元旦祭、2月節分祭、
 3月世田谷区郷土芸能大会、8月須賀神社例大祭、10月氷川神社大祭などで
 行なわれます。

 

大切に受け継がれてきた
「巫女舞」


2008年10月
氷川神社大祭
で奉納された
巫女舞の様子

『ポンポコ新聞』
第33号より(2008.10)
 
  喜多見の巫女舞
 喜多見の巫女舞は、氷川神社の娘さんが日本神社音楽協会へ習いに行き、
 氏子の娘さんへ伝えられたり、氏子から氏子へと伝えられたりしながら受け
 継がれてきました。しかし旧家だけでの継承が難しくなり、喜多見小学校の
 PTAが呼びかけたところ、当時小学6年生だった関根亜沙美さん・向井久美子
 さんが応じ、2007年7月から稽古が始まりました。
 指導するのは巫女舞OGの、下里里恵さん(旧姓・佐久間さん)と早川直美さん。
 下里さんは嫁ぎ先の相模原から、早川さんも忙しい仕事の合間を縫って指導に
 あたっています。「巫女舞はアメノウズメが天岩戸の前で舞った故事が原型で、
 普通の人向けの見世物ではなく、神様へ奉納する神聖なものなのです」と
 下里さん。早川さんも「巫女舞はお飾りではありません。中身を大切に、完全な
 形にして伝えていきたいと思っています」と、大切にする気持ちが伝わってきます。

  巫女舞の意味
 巫女舞には、「浦安の舞」「悠久の舞」「新年の舞」などがあります。特に有名な
 「浦安の舞」は、昭和8年に平和な世の中を願い歌われた、昭和天皇の和歌を
 舞にしたものです。
     天地(あめつち)の 神にぞ祈る 朝凪(な)ぎの
     海のごとくに 波立たぬ世を
 「うら」は、水辺を意味する「浦」と、同じ音の「裏」を掛け、目に見える表に対して
 その裏側に隠れている「心」を指し、「うらやす」で心中の平穏を表します。また、
 『日本書紀』に「昔、伊弉諾尊(イザナギノミコト)、この国を名付けて曰く、日本は
 浦安の国」とあり、他の文献にも日本国の異号として「浦安国」とあることから、
 神々の安寧慰撫と国の平穏無事が、「浦安」という名に込められていると言われ
 ています。

  今後も続きますように
 引き継いだ関根さん・向井さんも部活動や塾の合間を縫っての練習です。
 「巫女さんは知ってるけど巫女舞は見たことがなくて、どういうものかよく分から
 なかった」「最初は何を言われているのか分からなくて難しかった」という二人。
 優雅で華やかに見えますが、足の運び、指先の動き、鈴の鳴らし方など
 一つ一つに気を遣い、結構難しそうです。
 一年以上にわたる修行を経て、ようやく大祭での奉納に至りました。喜多見の
 町の平穏無事と、巫女舞が今後も続けられていくことを願っています。



氷川神社の大祭を
支える方々



 

 

『ポンポコ新聞』
第49号より(2012.10)

 祭には総代、世話人、楽友会、町会・自治会など多くの方が関わっています。
 祭を前に、お話を伺ってみました。

  道案内役の天狗さん
 「昔は2人が交代で回りましたが、今は1人、お面の節穴から覗くだけなので
 ちょっと大変ですが、介添人がいてくれるので大丈夫です。子ども達が寄って
 きてくれると楽しいですし、『また来年ね』とか『また会おうね』と言ってくれるのが
 嬉しいです。お父さん・お母さんも『一緒に写真を撮らせてください』と言ってくれ
 て、ヒーローになった気分です」

  祭りに欠かせない楽友会・会長 早川 忠治さん
 「朝からはじまり、昼からは神輿を先導し、囃し立てて一緒に回ります。一日中
 できついですが、やっぱり祭りは大勢集まってワイワイするのが楽しいですね。
 楽友会は子ども達も加わり22~23人になりました。優秀な子もいて、将来が
 楽しみです」

  神輿の総責任者で、木遣りの音頭を取る  清水 武利さん
 「40年位前に祭好きが集まって神輿の『祭龍会』ができました。互いに担ぎに
 行く繋がりで氷川神社にも都内や多摩地区から担ぎ手が大勢来ます。慣れない
 うちは肩が擦り剥けたりしますが、日頃のストレス発散になります。神輿が出る
 ときと納めた後に唄う鳶木遣りは、東京都の無形文化財なんですよ」

  警察や安全保障協会とともに警備する
   成城消防団の第6分団長 土屋 盛夫さん
 「消防団の一年間の行事のうち、もっとも人数が必要で、30人ほどで警備にあたり
 ます。車を迂回させたり、世田谷通りを止めて山車や神輿を渡したり、バックの
 苦手な高級車がいたり、文句を言う人もいて、昼前から夜まで長時間で体力もいり、
 大変です。(2012年)11月10日には消防団として都大会に出場します」

 ―― 氷川神社様に伺いました。
  お祭りは何のためにするんですか?
  神社には民族の祖神と自然の恵みを与えてくださる神々をおまつりしていま
    す。祭りは、神様に対しまことを捧げ、神様のご加護(恩頼=みたまのふゆ)
    を蒙り、一つ心にまとまり、神様から日々の生活を生き抜く力をいただくため
    に行うものです。お神輿や曳き山車に神様がお遷りになり、氏子の地域を
    巡幸され、生活を直接ご覧になり、幸いを与えられます。氏子の人達にとって、
    家屋敷や町内を掃き清め、衣服を改め不浄を除き、神燈をかかげてお迎え
    する一年で最も晴れがましい日なのです」

 




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