- b05
 

世田谷区内で
最古級の仏像
  宝寿院の「阿弥陀如来」


『ポンポコ新聞』
第22号より(2005.7)

 喜多見5丁目にある宝寿院は1569年の創建と伝えられ、正式名は
 「長徳山宝寿院光伝寺」、京都・知恩院の直末寺です。その本尊、
 木造阿弥陀如来坐像は、平安時代末期の作といわれる、世田谷区内
 で最古級の仏像の一つです。

 割矧造(わりはぎづくり)によるもので、像高は約60センチ、全体に丸み
 と穏やかさをもち、衣文の彫りも浅く、女性的なやさしさと気品を漂わす、
 京都・平等院の阿弥陀如来と似た定朝様式の作風で、
 『新編武蔵国風土記稿』によれば恵心の作とされています。元来、
 彫眼であったのを後世の補修で玉眼にされるなど姿が著しく損なわれ
 ていましたが、昭和56年に世田谷区指定有形文化財に指定され、翌年、
 解体修理を行なって、ほぼ造立当初の姿に復元することができました。

 両脇侍の観音・勢至菩薩は、ともに江戸時代の作。このほか同院には、
 頭痛によく利くという薬師如来や、胃の病に利くという朝日観音があります。
 また、本堂内の須弥壇も見事です。

  宝寿院光伝寺/世田谷区喜多見5-13-10

 

世田谷区指定文化財
  「十一面観音」
(非公開)


室町時代風の
男性的な表情

『ポンポコ新聞』
第31号より(2008.4)
 
 2007年12月、知行院(喜多見5丁目)にある「木造十一面観音菩薩立像」
 が世田谷区指定文化財に指定されました。

 この像はかつて知行院の本尊だったそうです。
 檜材の一木割矧造で、玉眼と白毫は水晶製。菩薩によくある装飾品がなく、
 如来のような簡素な姿であること、意志的な眼差し、男性的な表情であること
 などから、制作時期は室町時代、15世紀後半ごろと推定されています。
 調査した郷土資料館では、「中世まで遡る仏像が極めて少ない世田谷に
 あって、本像は貴重な作例である」と言っています。

 なお、現在の本尊は木造薬師三尊像。氷川神社の別当寺で神社に隣接
 していた祷善寺(長禄元年(1457)に没した良尊を開山と伝える古刹)の
 本尊だったもので、明治初年頃廃寺となった際に慶元寺へ預けられ、
 後に知行院へ移座されて明治45年に本尊となっています。

 参考資料および写真出典:
 世田谷区教育委員会『世田谷区 文化財調査報告集-9-』2000.3

  知行院/世田谷区喜多見5-19-2

 




Copyright (C) Kitami Ponpoko Kaigi All Rights Reserved.